猫飼いにたまらない!樹るうのコミックエッセイ「漫画描きと猫」あらすじ・ネタバレ感想

漫画描きと猫

『漫画描きと猫』は猫漫画である。登場するのは著者である樹るう自身と、その飼い猫のムーなので、コミックエッセイであるといえる。なお、そう頻繁に連載されていた作品ではないので、単行本一冊分で作中は何年もの時が流れている。

で、あらすじなのだが……

「漫画描きと猫」あらすじ

作者が猫を愛でている。

猫を愛でている。

ひたすらに猫を愛でている。

おおむね、ただそれだけである。エッセイ4コマである、ということもあって、ストーリーのようなものはほとんどない。猫に仕事を邪魔されたり、噛みつかれたり、一緒に寝たり、そんなほのぼのとした日常が淡々と、コメディタッチで描かれている。

漫画描きと猫
作品名:漫画描きと猫
作者・著者:樹るう
出版社:ぶんか社
ジャンル:女性漫画

「漫画描きと猫」ネタバレ&感想

だがあえて物語性のある部分を一か所だけ挙げるならば、作者がキュルちゃん、と名付けたキュルキュル鳴く野良猫が作中に出てくる。キュルちゃんは野良でありながら非常に人懐っこい猫で、散歩をしていた(作者はムーに首輪とリードを付けて散歩をさせている)ムーに初対面で鼻タッチの挨拶をして、そのままごろんとお腹を見せた。

猫にとっては最大級の親愛表現である。野良でここまで人懐っこい猫はそう見かけるものではない、というか、筆者も猫好きで野良猫観察も好きだが、そんな野良猫は一度として見かけたことがない。それくらい、並外れて甘えん坊の猫である。

その後も作者&ムーとキュルちゃんの交流は続き、作者は時折キュルちゃんを自宅に連れて行ったりし、二匹目の猫として自分で飼うことまで検討し始めるのだが……そんな矢先、キュルちゃんは駐車場の作者の車の近くで、斃れ冷たくなっていたのであった。

猫というのは生き物である。架空の猫ならば、よいが、実在の猫を描いた作品には、避けて通れない一つの問題がある。生き物であるからには、いずれは死ぬ、という問題である。

漫画ではない上に話が逸れて申し訳ないが、非常に有名な例として、夏目漱石の『吾輩は猫である』のモデルは実在の、夏目漱石が飼っていた猫なわけであるが、当然ながらその猫もやがては亡くなった。その死を描いた「猫の墓」という短いエッセイが夏目漱石の『永日小品』という短編集に収録されている。青空文庫で無料で読めるので、興味のある方はどうぞ。

また、猫は生き物であるが、比較的長く生きる生き物である。長生きする個体だと20歳を超えることもある。20年という歳月は、長い。たとえばある漫画家が巻末の描き下ろしエッセイなどに「子猫を飼い始めました」というようなことを書いたとすると、それからずっと後になって、「猫が死にました」という話を書くところも見ることになるわけである。

閑話休題。樹るうの作品にも同じことがいえる。結論から言うと、樹るうの愛猫だったムーは、既に物故している。もっとも、『漫画描きと猫』という作品そのものの中には、その話は描かれない。ムーの死はこの作品の上梓された後のことだからである。

ちなみに、ムーと樹るうが出会った話も、この単行本の中ではほんのさわり程度しか触れられていない。別のエッセイ作品か何かのどこかに収録されているのだが、死にかけの汚い子猫を見つけてしまい、思わず連れ帰ってしまい、うっかり世話をしてしまい、そのまま飼うことになった、という話だ。

そこから始まって、こちらは『ポヨポヨ観察日記』という単行本の方に収録されているのだが、ムーの死を描いたエッセイもある。別作品の話であるので詳述は避けるが、ムーと作者との出会いから一通りの、書かれてきたものを読んでいた筆者にとってもとても哀しい話であった。

ちなみに、ムーが死んだとき、猫が主人公の(こちらはポヨという架空の猫と、架空の飼い主の漫画)漫画を描くに忍びなく、樹るうは一時絶筆していた(その後連載は再開され、同作品は完結している)。

たまに『漫画描きと猫』を読み返すと、ムーと作者のほのぼのとしたやりとりも、今となってはどこかもの哀しい。しかしまた、そういう抒情性というのも、人生というものの断片を描くエッセイという表現形式の、魅力の一つなのではあろう。

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